中小企業の知的財産活用(5)
「せっかくヒットしたのに特許を他社に使わせてしまうなんて、もったいない!
うちやったら、新工場を建てて、大増産ですわ。」
前回の競合とつながる「橋」としての特許活用を読んで、このように心の中で呟いた経営者の方もおられると思います。今回は、新工場を建てて、大増産から始まった「橋」の事例です。
商品ジャンルの確立のための特許開放
昭和32年、お湯があればすぐ食べられるラーメンを開発している男がいました。
翌33年、のちに「瞬間油熱乾燥法」という名称の基本特許となる発明を完成させました。サンプルを知人の商社マンを介して米国に送ると、即座に500ケースの注文が来るなど、この商品は売れると、男は確信を持ちました。
男の確信通りに、お湯があればすぐ食べられるラーメンは「チキンラーメン(登録商標)」として大ヒットしました。
ここから類似品との戦いが、始まりました。
安藤百福社長の自伝によれば、チキンラーメンを名乗る類似品、商品名だけでなくデザインまでもそっくりで、しかも粗悪品が多かったそうです。デザイン差止め請求、不正競争防止法違反の訴える一方で、チキンラーメンの商標登録に対する異議申し立てされるなど混とんとした状況を生んでいました。製法特許においても、製造工程の微妙に異なる特許が複数出案され、混乱していました。
当時の食糧庁長官から「すみやかに業界の協調体制を確立するように」との勧告があったそうです。
さらには、「チキンラーメンを食べて食中毒になった」ということもあったそうです。調べてみると、パッケージだけ本物で中身を偽物だったとか。麺をあげる温度が低いため、細菌が発生していたそうです。
当時、即席めん参入が相次ぎ、1965年には360社に達していたそうです。このままでは粗悪品を売る小さなメーカーや偽造者に即席めんというジャンルを潰されるリスクがありました。当時は、まだ即席めんに対して食品としての不信感をいだく消費者もいて、ヒットしているとはいえ、食文化のジャンルとして根付いているとは言えない不安定な状況だったからです。
前回のプラスチック消しゴムのヒットの話では、大手に潰されるリスクを述べましたが、今回は弱小にせっかくヒットした即席めんというジャンルが潰されるリスクです。
そのような背景の中で、消費者が安心して食べられる即席めんというジャンルを確立するために、日清食品は特許を開放したと、私は考えています。
基本特許を開放して、業界の協調路線を築くことにより、どの会社でも安心品質の即席めんを作ることができるようにしていました。それは、今まで世の中に存在しなかった即席めんというジャンルを根付かせるのに有効な特許活用であったと思います。
即席めん業界の安心・安全ネットとして、基本特許が機能した事例です。
尚、「チキンラーメン(登録商標)」や、改良特許など自社の差別化の切り札を確保して、業界の競争においても力強く前進していたことは、言うまでもありません。